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> グラフィックアートの地平:#10
先日、NANZUKA UNDERGROUND(NUG)は、初出展となるアートフェア「ART FAIR TOKYO」に出展した。このフェアは、当時アジアで唯一のコンテンポラリー・アートフェアとして1992年にスタートしたNICAFを母体とする、国内のフェアとしては最大のもので、名実共に国内のマーケット開拓に最も貢献してきたフェアである。NUGにとっては、業界に向けてのデビュー戦であり、過去1年半の活動の是非を広く問う試金石でもあった。
出展に向けて、僕が密かに設定していたコンセプトは、「アウトサイダーの逆襲」。つまり、保守的なアートシーンにとっては“外道”である、ストリートやグラフィックと呼ばれているジャンルで活躍している作家の作品を中心に展示することで、コンテンポラリーアートなるものの次なる可能性を問おうと思ったのである。
「ART FAIR TOKYO」に出展した「魑魅魍魎の系譜」。NUGが密かに設定していた裏コンセプトは“アウトサイダーの逆襲”
話は少し反れるが、私は現在の日本のコンテンポラリーアートを、「原爆体験」と結びつけて考えている。日本という国のプライドを根刮ぎ剥奪した二撃の後、戦後東京の焼け野原の中で幼少期を過ごした篠原有司男や田名網敬一といった30年代生まれのアーティストに、宿命として課せられていた最も大きな仕事は、日本の現在を世界にプレゼンテーションし、それを認めてもらうことであった。ゆえに、60年代の読売アンデパンダン展に集約される「がむしゃら」な熱狂は、日本の戦後美術が次のステップを踏むために必要な儀式であったとすら言えるだろう。おそらく、彼らファーストジェネレーションの仕事なしには、村上隆らセカンドジェネレーションの作家の現在の成功はなかったであろうし、サードジェネレーションと呼ぶべき20代〜30代前半の作家たちが共有する異文化に対するポジティヴな感覚も育まれ得なかったであろう。
つまり、今回の展示で私がプレゼンテーションしたかったのは、そうした一連の日本の戦後前衛芸術の歴史であり、現在であり、未来であった。そして、そうしたプレゼンテーションを行うに相応しい作家をリストアップした結果、奇妙にも、「アウトサイダー」たちの軍団になったのである。
果たして、結果は如何なるものであったのか。事実として言えることは、完売した田名網先生のペインティング2点のうち1点は香港のコレクターの元に去り、MUSTONEの見事な3匹のクマの兄弟、及び可憐な兎は、アメリカ・マイアミのコレクターの元に養子に入り、篠原有司男大先生の小品ながらも傑作のバイクは、日本の現代美術をこよなく愛するアメリカ人コレクターの元に旅立った。世界への道は今ようやく開けたばかりである。
姉川たく、宇川直宏、ENLIGHTENMENTの三嶋章義、篠原有司男、田名網敬一、佃弘樹、MUSTONE(五十音順)。三世代にまたがる日本のアウトサイダーたち7名による展示となった。
photo by Maris Mezulis
会場には電撃ネットワークの南部さんと、ヴィヴィアン佐藤さんが…
NANZUKA( NANZUKA UNDERGROUND)
1978 年東京生まれ。早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学文学研究科美術史学専攻修士課程満期退学。 2005 年現代美術ギャラリーNANZUKA UNDERGROUND 設立。
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