Photoshop world Column
グラフィックアートの地平 #11
ART NOW and FUTURE
テキスト・NANZUKA
2007年は、現代アート好きにとっては「当たり」の年である。2年に1度開催の現代美術の祭典「ベネチア・ビエンナーレ」(イタリア)、世界最高峰のアートフェア「アート・バーゼル」(スイス)、5年に1度開催の国際展「ドクメンタ」(ドイツ、カッセル)、そして10年に1度開催のパブリックアートの祭典「ミュンスター」(ドイツ)が、同時期に連続して開催されるのである。この一連の国際展、ないしはアートフェアを見ることによって、アートファンは、アートシーンの最新情報を知り、同時に今後の動向を占うことができる。

今回、私は6月7日のヴェネチア・ビエンナーレのオープニングから欧州に入り、その後アートバーゼル、ドクメンタにまで足をのばして、見聞を広めてきた。そして、私は、今回の一大アートイベントを通して見ることで、現在と今後のアートシーンについて、ある推測を抱くに至った。

「現代の作家において、もはやピカソは重要ではなく、より重要なのは、マティスなのではなかろうか。」

ピカソが「20世紀最大の画家」とされてきた最も大きな理由は、作品のコンセプトと強度においてである。一方、より感覚的で軽い作風のマティスの作品は、20世紀を貫いたコンセプト重視の傾向から、ピカソに比べ特に学問的な意味において軽視されてきた感があった。つまり、雄弁でプロモーション能力に長けていたピカソに対して、マティスの革新性があまり認められてこなかったのである。
※2002年、テートモダン、グランパレで開催された「マティス・ピカソ展」は、多くの作品で、ピカソよりもマティスが先駆者であったことを証明した(01、02)。

 
Pablo Picasso「The Three Dancers」1925
  Henri Matisse「Nasturtiums with 'Dance' II」1912  
01:Pablo Picasso「The Three Dancers」1925 02:Henri Matisse「Nasturtiums with 'Dance' II」1912
しかし、21世紀に入ってからの、特にペインター作家の傾向は、顕著にマティスの路線を継承しているように思える。現在高い名声を勝ち得ている現役作家、ないしは高値で取引されている物故作家の作品の傾向は、より感覚的に優しい、ライトな作風が大半を占めているように思えるのである。ローラ・オーウェンズ(03)、ネオ・ラオホ(04)、トレイシー・エミン(05)、村上隆の爆発的な人気がそれを証明しているし、あるいはダミアンハーストの新作(06)も重厚なアートの価値を真っ向から否定している感がある。そして、物故作家では、今世紀に入ってから年々値を上げているウォーホルや、今回のヴェニスでの企画展「SEQUENCE1」(Palazzp Grassi)に代表作が並んだマーシャル・レイス(Martial Raysse)(07) などの人気が非常に高いことも、この傾向を示しているように思える。事実、村上隆はその著書「芸術家企業論」において、ピカソを疑問視し、マティスを「天才」と称して崇めているし、とあるマイアミの大コレクターは、「自分をハッピーにしてくれる作品」にしか興味がないと断言している。アートフェア会場においても、オークションにおいても、ピカソの作品は多く目にするが、マティスの作品はまったく見ることがない。つまり、売り物など出ないのである。
Laura Owens   Neo Rauch
03:Laura Owens
04:Neo Rauch
 
左:05:Tracy Emin

上:06:Damien Hirst
(※ダイヤモンドで覆い尽くされたスカル。価格は約120億円。

下:07:Martial Raysee
この状況は、20世紀美術のコンセプチャルに対して、より「感覚的な美しさ」の価値を再評価しようという動きを表しているのではなかろうか。であるとすれば、21世紀美術の歴史は、20世紀美術とまったく様相を呈する新たな価値観のアートを生み出す可能性がある。

そう、アートの未来は、常に予測不可能なのだ。
 
 
NANZUKA( NANZUKA UNDERGROUND)
1978 年東京生まれ。早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学文学研究科美術史学専攻修士課程満期退学。 2005 年現代美術ギャラリーNANZUKA UNDERGROUND 設立。

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