Photoshop world Column
グラフィックアートの地平 #13
見せ物としての美術
テキスト・NANZUKA

ここに一冊の本がある。私のバイブルのひとつであり、日本特有の美の在り方について、知られざる歴史を掘り起こした偉大な書物である。今回は、この本の紹介として、ここに描かれている日本美術史の裏話ついて少しお話したい。書物の名は『美術という見世物』、著者は木下直之氏である。

「アートとは何か」を議論する前に、まず私たち日本人は、「美術とは何か」を問うことからはじめなければいけない。なぜなら、ごく最近まで日本には「美術」などというものは存在しなかった。「美術」という言葉は、1873年、明治政府が、ウィーン万国博覧会の出品規約を日本語に翻訳する際に、新たに生み出した造語である。「西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、詩学等ヲ美術ト云フ」(※1)。つまり、「美術」という言葉及び概念は、日本が、近代化という名の西欧化を推し進めた際に、新たに輸入されたものなのである。この時、日本が出展した主なものは、陶磁器や金属器などの工芸品であった。

では、果たして、当時の日本には今日の表現芸術に相当するものはなかったのであろうか。いや、日本には、「美術」の代わりにもっととんでもない代物があった。〈画像1〉は、幕末期に大阪と江戸で爆発的な人気を誇った人形師、松本喜三郎の生人形である。この人形の素材はハリボテ、つまり紙である。その写実性は驚くばかりだが、もっと重要なことは、この人形がどのように人目に晒されたかである。〈画像2〉をご覧頂きたい。これは、こうした人形のお披露目に当たって配られた引札、今で言うチラシである。この引札から想像が付くように、およそ今日の私たちが美術館なる箱で目にして知っている美術とはかなり様相が違う。当時、英国使節エンギン卿と共に浅草の「見世物」を訪れたオリファントは、その体験を回想して次のような記述を残している。


 
松本喜三郎作「谷汲観音像」熊本浄国寺所蔵
  引札「鎮西八郎嶋廻り生人形細工」歌川芳春画 1854年  
 〈画像1〉
 松本喜三郎作「谷汲観音像」
 熊本浄国寺所蔵
   〈画像2〉
  引札「鎮西八郎嶋廻り生人形細工」歌川芳春画 1854年

「第一群は老人の群れで、その容貌の老衰と萎魔とが見事に描き出されていた。第二群は、衣装を着けた若い日本人の女神たちの群れと、その魅力に目を奪われ、恍惚とたたずんでいる一人の田舎者であった。・・・第三群は、立派に着飾った王女が、壇上に座って、侍女たちがいろいろな体技を行っているのを見ているところだった。その中の一人は、しとやかでない活発な格好をしていた。その役割は背を伸ばして、空中に踊っている球を足の裏で受ける事であった。これらの姿を木彫で正確に表すことは至難の業であるが、驚くべき意力と写実性によって成し遂げられていた。第四群は、酒を飲みながら喧嘩をしている人々の群れであった。怒ってこなごなに砕いた杯のかけらが、そこら中に散らばっていた。その中の二人の男の顔には、抑えきれない怒りの表情が巧みに描き出されていた。一人は仰向けに倒れて笑いこけていた。第五群は、海で浴をしている婦人たちの群れであった。その中の一人は、イカに巻きつかれていた。他の一人は驚いて仲間を見捨てて逃げ出していた。イカはきわめて大きく表され、その目とまぶたと口とは頭の中に入っている男の手で同時に動く仕掛けになっていた。私は、この「見せ物(ショウ)」が美術的才能を大いに表しているものとして、かなり詳しく書いてしまった。これらの主題は独特のもので、それは、日本人が、美術の最低の歩みにありながらも完璧の域に到達している立派な見本であった。」(※2)

喜怒哀楽全ての感情を刺激する見事な構成であり、これぞエンターテイメントである。ちなみに、巨大イカと裸婦という最後のステージは、江戸の民衆文化に広まっていたアングラ的趣向を、見事に体現した展示と捉えてよいだろう。この「見世物」は、当時の日本で最も普及していたアート的なものであり、その実態は「お化け屋敷」と大差ない通俗的なものであったかもしれないが、ここで、オラファントが言っているように、特にその技術的側面、真に迫るという表現の迫力という部分においては、西欧人を圧倒する表現力を備えていたのである。

こうした日本独特の、「アートショー」の存在は、その後もしばらく生きながらえた。例えば、幕末から明治初期に日本に輸入された「油絵」も、同様に「見世物」として多いに観客を楽しませた。〈画像3〉は、「見せ物絵画」で生計を立てていた西洋画工(職人画家)、五姓田芳柳の描いたそれである。こうした絵画は、「画がものを云ひそうだ」、「今にも動き出しそうだ」という案配で観客を楽しませたのである。あるいは、戦時中のパノラマ(戦争プロパガンダのための絵画)も同様のコンセプトに基づいている。

  五姓田芳柳「西洋老婦人像」(1860〜1867年頃) 神奈川県立博物館所蔵
  〈画像3〉
  五姓田芳柳「西洋老婦人像」
  (1860〜1867年頃)神奈川県立博物館所蔵

最後に、この予備知識を習って、今日におけるアートないしは美術の存在意義について、独想したい。果たして、21世紀という時代の同時代美術の価値とは何なのか。コンセプト主義に引きずられ、大衆の興味とかけ離れてしまった感のあるアートに、おそらく同様の未来はないであろう。であるとすれば、それがアカデミックな意味でのアートであろうがなかろうが、このコマーシャリズム社会の渦にあって、人々を熱狂させる力をもった表現があるとすれば、それこそが今最も必要とされているアートなのではなかろうか。「見世物としての美術」、そんな開き直りがあっても良いのではないかと、私は夢想する。

*この話に少しでも興味がある方は、是非、木下直之著「美術という見世物」(ちくま学芸文庫、1999年)を読んでください。きっと、美術というものが、もっと身近に感じられるはずです。


※1)「墺国維納府博覧会出品心得」青木茂、酒井忠康編『美術』日本近代思想体系第十七巻、岩波書店
※2)ローレンス・オリファント「エルギン卿遣日使節録」岡田章雄訳、雄松堂書店
 
NANZUKA( NANZUKA UNDERGROUND)
1978 年東京生まれ。早稲田大学第一文学部美術史学専修卒、早稲田大学文学研究科美術史学専攻修士課程満期退学。 2005 年現代美術ギャラリーNANZUKA UNDERGROUND 設立。

< Back  |5  Next >

このページをブックマーク