Column
Photoshop world Reportage
     
  永戸鉄也 [Collage]  
vol.4 [ オープンになるということ ]
 
       
2004 年の転機を境に、一気にオーバーグラウンド・シーンへと飛び出した永戸鉄也さん。
ただ永戸さんはそこで、特に制作スタイルや作風を変えたわけでもなく、あくまで自分自身は貫いたまま。では、いったい何が彼を取り巻く状況を一変させたのでしょうか?
もう守らなくても自分の核の部分は壊れないって気が付いたからオープンになった
9・11 のテロ事件後に制作したデジタルコラージュ作品「爆破からの」 Photoshop world 15 号 のノベルティーである日本手拭いのためにあらたにデザインされた作品。アナログコラージュ作品をさらにデジタルコラージュして制作。
Photoshopworld Staff(以下、PW)「UA や櫻井さんに最初に見せた作品というのはデジタルコラージュなんですか?」

永戸鉄也(以下NT)「そうです(「距離・歩幅」<Vol.1 の図版参照>「gun」<Vol.3 の図版参照>など)。この辺はそれ以前に発表していて東京都の賞と文化庁の賞を取ってたし、あとビジュアル誌やファッション誌等でレギュラーをやったり、いろんなところで評価はあったんだけど、なんて言うんだろ………結局は通の人がいいと言ってるだけ、みたいな感じがあって(笑)」

PW「ただ、アンダーグラウンドなところで評価を得るのって気持ちよかったり、居心地が良かったりもしますよね?」

NT「しますけど、僕はそこだけじゃダメだって思ってたんですよ。自分の中には初めからそこでの評価はあるってタカをくくってる部分があって。だからデザイナーやアーティストが見てすごいって言ってくれても、それだけでは満足できない部分があって」

PW「生活的には、賞を取ってた時期もけっこう追い込まれてる感じだったんですか?」

NT「かなり切羽詰まってるし、自分だけじゃなくて奥さんと子供もいるし………ただ予感はしてたんですよ、行ける予感が(笑)。それで奥さんには『もうちょっとで行けるはずだから、来年まで待って!』みたいなことを言って(笑)。手応えはあるし、コアなところでの評価は得てるのに、なぜ上がれないんだっていうジレンマがあって」

PW「そして2004 年に大きな転機が来るわけですが、自分ではそのいちばん大きな要因って何だと思いますか?」

NT「そうですねえ………その時期って、自分が否定してた部分………それは額に絵を入れるのが嫌だとか、そういうものがどんどんなくなって、そうじゃない要素が一気に自分の中に入り込んできた瞬間でもあったんですよね。たとえば子供が産まれたことによって経済にも興味が出てきたり。たとえば株価の折れ線グラフに興味を持って、経済の動きと美術の融合の方法を探ってみたりと、今までと違う方向の物事に自分が開いていったんです」

PW「自分自身がオープンになっていったという」

NT「それまでは閉じてるというか、かなり凝り固まってる部分が強かったので、メジャー指向というのもどこかで否定してたわけです。だけど、ちょうど経済に興味を持ち始めたこともあって、違う視点で自分の作品や立ち位置を見始めたら、さらに上に行きたくなったっていうのもありましたね。名前も売りたいし、それによってやったことのないことをやりたいっていう欲求が明確にでてきた。あまりギラギラ出来る性格ではないのでそういう意味(の上昇志向)ではないんだけど、普通にそう思えてきたんです。それで次の段階に行けるんじゃないかと」

PW「じゃあ、美術は学校で教わるようなものじゃないとか、絵を額に入れて飾ることや個展を開くことを一切否定していた自分の中のこだわりがほどけていったということですか?」

NT「そうですね。それまでは、否定することで自分の(アートに対する)核みたいな部分を強めていたんですよね。ただ、もうそれを守ってる段階ではなくなったっていうことだと思うんですよ」

PW「守ってた自分に気がついたんですね」

NT「もう守らなくても自分の核の部分は壊れないって気が付いたからオープンになったんだと思うんです。いまはそういうこだわりはまったくと言っていいほどなくなってしまって、額に入れてもいいって思ってて(笑)。ただ当然、入れないことの意味と入れることの意味っていうのは分かるわけですよ………だから、大人になったんでしょうね(笑)」
       

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