プロダクトデザイン、オブジェ、空間演出、映像インスタレーション、書籍出版、etc。
ジャンルの垣根を越え幅広いフィールドで活躍する女性アーティスト、アラキミドリ。
小さい頃、批評家になるのが夢だったという彼女は、
絵本作家にも憧れ、いくぶんマニアックな絵本を収集し、
自分でも作品を描いては、それを大人に見せていたという。
やがて多摩美へと進学し、美大生となるが、
なぜか進路として編集者の道を選んでいく。
そんなアラキの知られざる(?)バックグラウンドにせまるべく、
幼少期〜学生時代〜編集者時代の話を聞いてみた。 |
小さい頃はマニアックな絵本を集めていて、
自分でも早く描かなきゃ、と思ってました。
でも、将来の夢は批評家(笑)。 |

『Junk Sweets』(アスペクト 2001) |
Photoshopworld Staff(以下、PW)「作品のなかの“言葉”の存在がとても印象的なのですが、やはり昔から「言葉」には興味があったのですか?例えば小説を書いてみたかったとか?」
アラキミドリ(以下、AM)「文章を書くようになったのは、編集者をやったからですね。特に昔から文章を書いていたというわけではないんです。でも、小学生の時は大人ぶって、絵本を集めていました。気分的にはマニアックなもの。その頃は絵本が大好きだったので、絵本作家ってカッコイイなと思ってました。だから自分でも早く何かを描かなきゃと思っていて、大人のふりして描いてみたんですけど、これが面白くない…。先生に見せても反応がいまいち良くなくて…。この時の体験にリベンジしたいという気持ちがどこかにあったのか、『JUNK
SWEETS』を出版することができて、なんだかトラウマがとれた感じです(笑)。最近また『MF』という雑誌で連載を始めたんですが、これもいずれ出版できたらいいですね。『JUNK
SWEETS』とはまた違った感じのものが作れそうな気がしています」
PW「小さい頃から、作家になりたいと思っていたんですか?」
AM「作家…、とは思っていなかったと思います。小さい頃のことで言うと、私、批評家にもなりたかったんですよ。そんなんだから、友だちはできづらかったですけど(笑)。子供って、たあいもない会話をするじゃないですか、そういうのに“つまんないな?”と思っているような子供だったんです。どこで批評家という仕事を知ったのか覚えてないんですけど、そういう批判的な自分の性格に肯定的になれると思ったからなのか、批評家っていいなと思ってましたね」
PW「批評家って、子供にしては渋い夢ですね(笑)。身近なところに、影響を受ける人はいたんですか?」
AM「叔母さんが油絵を描いていたり、兄がなぜか革靴を作っていたり、両親も日曜大工や洋裁などを趣味にしていたので、身近にものを作る人がいる環境だったと思います。私は幼い頃からそれを見ていましたね。あといろんな意味で(笑)、うちの家庭は友だちの家庭とちょっと雰囲気が違うなぁ…、と感じはじめてから、物事に対していろいろな見方をするようになったんだと思います。でも特にアーティストや作家になりたいとは思っていなかったですけどね」
PW「批評家になりたかったと(笑)」
AM「そう。変な子ですよね(笑)」
PW「ではどうして美大に進学を決めることになったんですか?」
AM「かねてから美大に行きたいと思っていたわけではなくて、高校で進学のことを考える時期に、友だちに美大がいいんじゃない?と言われたのが決め手だったと思います。美大という響きがいいな?と(笑)。でも美大ってなんなんだろう?とも思って、デッサンを始めたりしました。それまで特に絵を習っていたわけではないんですが、小学校の頃から美術の成績は一応5段階評価の5でしたけど(笑)」
PW「そして多摩美術大学グラフィック科に入学されるわけですが、どんな学生時代を過ごしたんですか?」
AM「大学はグラフィック科ですが、しばらくして、自分は立体の方が好きだということに気がつきました。でも大学の4年間では、本当に自分が作りたいものは見つけられなかったですね。ポスターでも映像でもないし、かといって大学院にも行きたくないし…」 |