【Photoshop for Photograph】
写真加工テクニック編 撮影テクニック編

撮影テクニック編
打ち上げ花火の撮り方 基本「前編」
稲垣 英徳
その点、日本においては儀典や納涼用の狼煙程度の花火を作る程度にしか開発努力がなかったので、明るさや威力に偏るよりも、形など、座り、消え口、色配置などに重点が置かれたました。多くの場合は打ち上げ会場の景観に沿う色使いなどの配慮の為、発色もおとなしめになる事が多かったのです。

最大の違いは、まず花火の形状が欧米の物は円筒形の迫撃砲弾などを模しているのに対して、日本の物は多くは球状です。また、色の変化も海外の物に比べると多彩ですが、その分光量や散開速度は控えめなどの特徴があります。
【写真5】
海外では形を重視する花火は珍しく、せいぜいこの様な単純なものくらいです。
また、冷戦終了後、日本や欧米市場などでは中国製の花火が市場を席巻した事から、現在では多くの花火が中国製の花火を用いる様になっています。これが多くの緑色の花火をもたらしたのです。

中国製の花火は、主にスターマインを中心に使われていますが、これらは色、光量、散開の速度も従来の花火と違うので、伝統的な手法である絞りF8、シャッタースピード8秒の設定では白トビを発生させてしまうので、注意が必要になってきます。

実際、花火大会によって炸薬の調合や輸入花火のアレンジも変わったりするので、花火撮影はそれほど単純ではありません。それをふまえた上で、これから述べるテクニックは至極一般論として読んでいただきたいと思います。

カラー写真初期の歴史
【写真6】
意図的に赤の発色を強調する撮り方、現像の仕方も古くから人気があります。
現在のカラーフィルムの歴史は、写真の歴史の中では意外と浅く、Kodak社C-41処理を行うものは1970年代に登場しました。インドア撮影定番でもあったタングステンフィルムが実際に登場したのは、1952年にKodak社がEASTMAN Color Negative film Tungsten, El 25を出したのが最初です(Kodak社はその功績なども併せて、カラーフィルムでOSCARをその年に授賞)。

当初1935年程度に登場した窒素化合物をフィルムの感光材に使用した初期のKODACHROME(乳液の違いから発色は現在のものとは随分違います)は、現在のデーライトフィルムに準じるものであり、これらで撮影された花火は非常に赤みを帯びていました。タングステンフィルムが登場するまでは、このデーライトフィルムに準じるもので、映画や、記録映像などは撮られたのです。

さらに1935-1950年までは物騒な戦時中の砲火の記録写真などの方が多く、英米の砲火の曳光弾には、燐、マグネシウム、ストロンチウムなどが多く用いられたため、赤い発色がさらに強調されて撮影されました。花火の撮影の歴史が当初は戦火を記録するものとして発達したのは残念な事ですが、多くの花火写真が、赤みを強調して撮られる様になったルーツでもあります。

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  稲垣 英徳   2007.08.01