現在のカラーフィルムの歴史は、写真の歴史の中では意外と浅く、Kodak社C-41処理を行うものは1970年代に登場しました。インドア撮影定番でもあったタングステンフィルムが実際に登場したのは、1952年にKodak社がEASTMAN Color Negative film Tungsten, El 25を出したのが最初です(Kodak社はその功績なども併せて、カラーフィルムでOSCARをその年に授賞)。
当初1935年程度に登場した窒素化合物をフィルムの感光材に使用した初期のKODACHROME(乳液の違いから発色は現在のものとは随分違います)は、現在のデーライトフィルムに準じるものであり、これらで撮影された花火は非常に赤みを帯びていました。タングステンフィルムが登場するまでは、このデーライトフィルムに準じるもので、映画や、記録映像などは撮られたのです。
さらに1935-1950年までは物騒な戦時中の砲火の記録写真などの方が多く、英米の砲火の曳光弾には、燐、マグネシウム、ストロンチウムなどが多く用いられたため、赤い発色がさらに強調されて撮影されました。花火の撮影の歴史が当初は戦火を記録するものとして発達したのは残念な事ですが、多くの花火写真が、赤みを強調して撮られる様になったルーツでもあります。
|