「貴様なぜ自分の任務を果たそうとしないんだ?」 「そんなにレイアウトを動かしたいんなら、あなた自身がやればいいんですよ。あっ! な、殴ったね……親父にもぶたれたことないのに」 「それが甘ったれなんだ。ダメ出しされもせずに一人前になった奴がどこにいるものか」 しかし大概において、それを運用する戦略がなければ、NEWなタイプの作風への目覚めはなかった。"クリエイティブ"は職能を指す造語、"アーティスト"とは似て非なる存在。"表現"を以て人に受け容れられようとする、その動機こそが営業的。「NEWな作品は戦略の道具じゃない!」そう叫びつつ彼らは営業と自ら信じる才能との間で葛藤し、社会的に成長していくのだ。 buggyこと谷口竜也の魅力はまさにそこ、受注者への感応力と内なる創作欲、親しみやすさとオリジナリティのバランス感だ。「便利で表現の幅が広がるが、頼り過ぎるとオリジナリティが埋没してしまう」と語る画像ソフトの用い方も然り、「かつてはイラストや写真にノイズやぼかしなどのエフェクトをかけていたけれども」今やコラージュ画面の構成に参照する程度。我が持ち味は内にあり、エフェクトはあくまで端的に、「なんじゃこりゃ的な違和感」を引き出すそのバランスこそが要訣なのだ。 何より「見る人をハッピーにしたい」、その言葉が、手慰みに堕した凡百の"自己表現"から抜きん出て輝く。人に届いてこそ"クリエイティブ"。かくして愉快痛快さに満ちたコラージュはUMA(未確認生物)的ユーモアと顧客への融通をUNITEさせ有言実行、表現の湯量も悠々と愉悦的ユニバースを湧出させてゆくのであった。