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「観覧車に東京の"これから"を見る」
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a_000_臨海町五丁目
Copyright: Hideyuki Motegi
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※著作者に許諾をうけて、高解像度の作品をご提供いただいています。
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雨音を感じながら、今日は早い時間に家に帰ってきました。僕の住む部屋の開放廊下からは、観覧車が見えるのです。前回は子どもの頃に遊んだ観覧車を訪ねました。今の部屋に住んで10年。この辺もずいぶん変わりました。駅から歩く道には自動販売機だけがあった街ですが、この頃ではコンビニエンスストアが2件。ずっと住んでる人に聞いたら、ここは30年前には海だったそうです。学生時代も今も、東京の湾岸の風景の撮影を続けていますが、20ん年前東京港トンネルができた頃、今住んでいるここに撮影に来ました。そうそう、その頃は埋め立てられたばかりでした。倉庫と芦原とできかけの高速道路がありました。思い起こせば、僕がここに引っ越した頃は観覧車もありませんでしたよ。荒川にかかる湾岸道路、国道357号線の橋もできていなくて都心に車で出るのはちょっと大変でした。電車も1時間に4本。日中の人が少ない時間は30分に1本。随分、イナカだなあ、と正直思いました。
でもですね、東京駅からの直線距離は12キロなんですよ。観覧車のある街、蒲田に住んでいた時は16キロ。蒲田は京浜東北線が一日中2〜5分間隔で運転されていて、時刻表を見ることなんてありませんでした。今、ここの方が都心に近いんですね。でも、毎日きちんと時刻表を見ないと電車に乗り遅れてしまいます。10年前からすれば、電車の本数も増えたんですけれどね。あ、忘れちゃいけない、ここは京葉線の普通列車しか止まりません。そして、人も増えて今では座席に座れなくなりました。
いつの時代から、開発が始まるかによって都心からの距離が同じような場所でも、インフラ整備の進み方が違うんですね。戦後すぐから人の多かった蒲田は、常に意識より先んじてインフラがありました。今、僕のいる葛西臨海公園は21世紀が見える頃からスタートして、人の住むエリアになり、その要望に応えインフラが整い出しました。まるで、大気が均一に暖まって行かないように、「東京」のなかにも温度差があるのだと毎日思うのです。ただ、僕は「これから」が好きです。
今はこの観覧車を見ると、ああ、家に帰って来たんだなあ、って思うんです。
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What's "Tokyo Archive" ? |
自分が生きる街、時代を写真家の目で記録し残す。これは、写真家という職業上の責務でもあり、見過ごすことのできない被写体です。心を同じくする仲間とともに始めました。そして、他の都市にも広がらせたい。それがアートでもあるわけです。写真が持つ記録という力を楽しみ蓄積し、後世に「平成」という街や時代や空気を伝えていく、東京アーカイブとはそんなプロジェクトです。
http://archive.ihf7.jp/ |
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茂手木秀行 |
写真家1962 年東京生まれ。(株)マガジンハウス勤務、ポパイ編集部スタッフフォトグラファー。'90 年ごろより写真のデジタル加工を始め、'97 年ごろからは撮影もデジタル化。そして苦しむ。'03/'05 年雑誌写真記者会ファッション部門賞、'04 年雑誌写真記者会優秀賞受賞。'05 年個展「トーキョー湾岸」開催。「東京アーカイブ」主宰。 |
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